SPECIAL INTERVIEW
阿部詩選手 柔道衣は「魂のような存在です」

高校1年時の敗戦で
自分を見つめ直した

高校1年時の敗戦で自分を見つめ直した

ふたりの兄に導かれ、阿部詩は5歳で柔道と出会った。
「兄が先に始めていて、一緒に道場へ行ったらすごく楽しそうで。年上のお兄さんとお姉さんが多かったので、自分も混ざりたい、その仲間に入りたいという思いがありました。ピアノもやっていたのですが、じっとしているより身体を動かすことが好きだったので、柔道のほうが合っていたんだと思います」

基礎から学び、少しずつ本格的な練習が増えていった。
「道場という空間が好きでしたので、試合に勝ちたいとか強くなりたいという思いは、そこまで大きくありませんでした。それよりも、仲間と一緒にいたいとか、楽しみたい気持ちが強かったですね」

楽しみながらでも、勝てば嬉しい。やがて、競技に目覚める。
「初めて大会で優勝したのは小学2年で、試合に勝つのはこんなに嬉しいんだと、少し実感したかなと思います。それから、兄が小学校の高学年あたりから大会で優勝するようになって、その姿を見て私も金メダルを獲りたい、と思うようになりました」

兄の一二三が、中学3年時に日本一になった。会場でその雄姿を見た詩の心に、ひとつの決意が刻まれる。
「私も日本一になりたい」

そこからは、柔の道を突き進んでいく。心を散らすことなく、打ち込んでいった。
「強くなりたい、大会で優勝したいという思いが強くなり、友だちと遊びたい、休みの日に出かけたい、旅行へ行きたいといった思いはまったくなくて。家族全員で戦っていたところもあったので、そもそも遊びに行こうという考えにならなかったですね」

高校1年時の敗戦で自分を見つめ直した

中学3年で日本一になった。地元の兵庫県で敵なしの強豪と呼ばれる夙川学院高等学校へ進学すると、1年時から全国大会に出場する。
「優勝するつもりで臨んだ夏のインターハイで、1回戦負けをしてしまいました。自分の力を出し切れずに終わってしまい、自分自身に対してすごく悔しかった」

悔しさに身体と心を震わせながら、自分と必死に向き合った。
「自信過剰になっていたというか、優勝できるかなと思っていたんです。それからはそういう考えを一切捨てて、どんなに小さな大会でも自分自身の100パーセントの力を出し切る、という考えができるようになりました。あの時は本当に悔しかったし、苦しかったですけど、いまとなっては良かったと思います」

誰にも負けない気持ちで試合に臨む

誰にも負けない気持ちで
試合に臨む

そこから先は、表彰台のもっとも高い位置に何度も立っていく。シニアの国際大会デビューから、外国人選手を相手に48戦無敗の記録も打ち立てた。国内外で勝利を積み重ね、日本体育大学3年時に2021年夏の東京を迎える。兄の一二三とともに、兄妹で金メダルを獲得した。
「期間中はがむしゃらに戦っていましたが、振り返るとすごいことを成し遂げたんだなという気持ちになります。13歳の頃からの夢を達成できて、それまでで一番幸せな時間だったと思います」

2021年夏以降も2022年、23年の世界選手権を制した。52キロ級の絶対王者に君臨しながら、試合内容にはつねに厳しい視線を向ける。
「勝った試合でもいざ内容を見ると、満足できる試合はほとんどありません。どこかに課題があります。それに、すべてに満足してしまうと、成長する部分がなくなってしまいます。今後に向けて修正する部分を、しっかり見つけることが大事だと考えています」

コーチと話をしながら試合を振り返り、課題を抽出する。翌日の練習から、課題を塗りつぶしていく。妥協のない積み重ねこそが、他を寄せ付けない強さの源だ。
「一日一日の稽古のなかで、しっかりと課題を持つ。何も考えずに漠然と取り組むのではなく、今日は何をしようという目標を決めながら練習することを心がけています」

練習には最高レベルの集中力で臨み、心と身体を極限まで追い込む。すべてを出し切る。試合で緊張しないのも、練習の裏づけがあるからだ。
「練習でやってきたことしか、試合では出せません。私自身は試合で緊張するタイプではありませんが、試合と同じ緊張感で練習に取り組むことが、本番で緊張しないことにつながると思います」

できる限りの準備をしたら、あとは畳の上で力を発揮するだけだ。闘争心のスイッチを入れる。決められたルーティンなどはなく、いつもどおりに過ごして試合に臨む。
「試合には誰にも負けない強い気持ちで臨む。さらに、何分でも戦ってやるぞ、という気持ちを持って挑むようにしています」

試合前は柔道衣に「今回もよろしくね」と

試合前は柔道衣に
「今回もよろしくね」と

畳の上の阿部詩は、眩しいほどの輝きを放つ。内面から沸き上がる感情の発露が、見る者の心を惹きつけるのだ。
「畳の上が一番自分らしくいられますし、だからこそ輝くことができるのかもしれません。周りの方に笑顔になってもらうのも、畳の上で戦っているときだと思いますし」

柔道衣は「魂のような存在」と言う。
「戦うにあたって必要不可欠なものですから、身体の一部と言っていいものです。帯は魂と言われているのですが、柔道衣も私の魂だと思っています」

自らの魂を宿す柔道衣を身にまとうことで、練習で培われた自信が確信となっていく。阿部は「ちょっと恥ずかしいですけれど」と言って、素敵なエピソードを教えてくれた。
「試合前には必ず、柔道衣に『今回もよろしく』みたいな言葉をかけるんです」

ミズノ製の柔道衣は、幼少期の憧れでもあった。
「小学生の頃に、当時教えてもらっていた先生から、全国大会で勝ったら買ってあげると言われて、それがものすごいモチベーションになって頑張ったのを覚えています。ミズノさんの柔道衣は強い選手が着ているイメージだったので、初めて身を包んだときはすごく嬉しかったですね。いまは自分の身体に合ったものになるように測っていただいて、しっかりとパフォーマンスを出せるようにしています」

試合前は柔道衣に「今回もよろしくね」と

現在は24年夏へ向けて、レベルアップに励んでいる。兄の一二三とともに代表に内定しており、兄妹での連覇がターゲットだ。

競技の第一線で戦いながら、柔道界の未来も見据える。
「小さな子どもたちに、柔道の楽しさを広めていきたいんです。将来的には、子どもたちの指導者になりたいですね」

柔道に励んでいる子どもたちには、「夢や目標を持ってほしい」と話す。
「トップレベルを目ざす過程では、いくつもの壁があります。それでも諦めずに、一歩一歩進んでもらいたいですね。嬉しいこともツラいこともあると思いますが、自分の夢や目標に向かって楽しみながら歩んでください」

自身のために、家族のために、お世話になっている人のために、日本柔道界のために──阿部は今日もひたむきに汗を流すのだ。

※このインタビューは2023年9月に行いました。
※選手個人の感想です。

阿部詩

阿部 詩

Uta Abe


パーク24株式会社

柔道家。2000年7月14日生まれ、兵庫県出身。『グランプリ デュッセルドルフ』52kg級(17年)で史上最年少で優勝。『世界ジュニア選手権大会』52kg級(17年)で優勝。『世界柔道選手権バクー大会』52kg級(18年)で優勝と多数の大会で優勝を果たす。21年7月、52kg級で金メダルを獲得。