今日は朝から、平成を振り返ってという特集がマスコミ各社で賑わっています。
今日はゆっくりと最後の日を自身の平成も振返ってみようと思います。
1989年(元年)、私は37歳、妻36歳、長女は小学生、長男は幼稚園、仕事は競技種目の商品を扱う営業をしていました。
当時を振り返ると、仕事も大変な時期で子供達と触れ合うという余裕もなく、子育ては妻に任せっきりでした。
今の私の子供たちの子供に対する姿勢をみていると、良くやっていると思います。
精神的余裕もない中、小学校のPTA会長になったりして、今思えば恥ずかしくなるような会長でしたね。
又、1995年に起きた阪神淡路大震災の際は、兵庫県を営業で周っていた経験もあり、県内に住む社員の安否確認、食料差入れに訪ねて回りました。
高速道路が落ち、あちらこちらで火災が起きてる中、抜け道を探しながら、目に入るもの全てこの世の景色では無かったです。
ナビも携帯もないのに良く出来たなと思います。
そして1974年の入社以来営業一筋でしたが、2000年にミズノとしてウォーキングにも力を入れて行こうという流れで担当になりました。
これも当時から金剛山に登っていたのが、私に声がかかったのと関係があります。
今までの仕事の流れと全く違う環境で、何をしていいか全て模索でした。
ある意味やりたいように出来、その後の私に全てつながる時期でした。
付き合う方々も、アスリートから高齢の方々へと変わりました。
全国各地の様々な経歴をお持ちの方々と知り合いになり、どれだけ人生の勉強をさせて頂いたか!
又、ナンバ歩きに興味をもち、2004年から講習会で取り入れるようになり、教科書のない歩き方をどう伝え、指導していくかについて、ここから人生で一番前向きに勉強をしだしました(52歳)。
以降の講習会に参加頂いた方々は、全国各地に6万人以上いらっしゃいます。
この経験は凄く大きいです!
60歳では、還暦のチャレンジとして自宅から富士山頂まで歩きました(ブログ有)。
このチャレンジはその後も私の中に核たるものを残してくれました。
そして長女、長男にも孫(4人)も出来ました!
孫との触れ合いは癒しの時間です! 時には恋人のようなデート気分も味わえます!
私にも時間的、精神的ゆとりも出来、孫達ともシッカリ時間を作って付き合えるようになり、もうすぐ退職しこれからシッカリ楽しもうと思っていた時、妻を亡くしました。
これほど大きなショックはなく、絶望の中もう立ち直れないと思い続けた時期が続きました。
でも妻の分まで楽しもうと思うように成れたのは、妻がガンとの苦しい闘いの中、私に家事、料理を教えてくれ、そして亡くなる2日前に看護師さんから聞いたのですが、「奥さんは男前ですね! 何も思い残すことはない! 今が一番幸せ!」っとおっしゃっていましたっと。
本当に救われた言葉で、その言葉を思い出し、妻の分まで前を向こう!っと
そしてその翌年の2017年ミズノを退職し、今は様々なヒュッゲに溢れた人生を過ごそうとしている私です。
私にとっても色々あった平成ですが、その経験を明日からの令和の時代にも活かせるようにしていきたいと思ってます!
先日は正にこの平成の時代に始まり、付き合ってきた地元の3家族がファミリーで集まり、楽しく懐かしい会をしました!
これからも自身の選択の積み重ねが、いつ振り返っても良かったにつながるようにしたいですね!