オリジナリティと常識から飛び抜ける発想が、人の心を驚かす

ダンサー・振付師
TAKAHIRO

挑む世界に居場所を作るオリジナリティ

ダンサー、振付師として活躍するTAKAHIROさんは、大学卒業後に単身で渡米し、偉業を成し遂げました。2006年、全米放送の人気ダンスコンテスト番組「ショータイム・アット・ザ・アポロ」で歴代最多9大会連続優勝を飾って殿堂入り。世界中で高い評価を得て、09年には、マドンナのワールドツアー専属ダンサーを務めるなど活躍。近年は欅坂46などの振付を担当するなど幅広く活動しています。
「外国人ダンサーは筋力も跳躍力もすごいし、骨格が大きくてステージ映えします。持っている肉体は、取り変えられません。小柄な体格でも自分の居場所を作り出す必要がありました。身長180センチ以上のダンサーが募集されているときに、170センチくらいしかなくても『でも、彼がいいな』と言わせなければいけません。そのための自己分析とかオリジナルの鍛錬法を作ることを大切にしていました」
コンテストでは、長髪を結って典型的なアジア人像を演じたり、迫力ではなく柔らかさを強調したりと特徴が際立つ工夫を施しました。基本の鍛錬に加え、自分にしかできない、自分が一番よく出来ると思う武器を持つことで、ハイレベルな争いに挑む気持ちが生まれていました。
最近は、似ているダンスが増えています。情報を入手しやすい現代では、同じイメージを持つ人が増えているからです。TAKAHIROさんは、自ら考え出すことを重視し、必要以上にダンスの映像を見ないようにしています。代わりに、漫画や美術品などからイメージを膨らませています。あるコンテストでは、漫画「セクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさん」をヒントにした動きで絶賛されました。最近では、振付で十二神将(薬師如来の世界を守護する十二体の武神)のポーズを取り入れるなどジャンルや情報源も幅広く、オリジナリティに磨きをかけています。
「情報や分析による最適化は、すごく良いですよね。でも、ダンスは人間の心に触れるもの。喜びも苦しみも、常識から離れて飛び抜けた瞬間に感情が揺れます。見て真似をすると模倣になるけど、見たことがなければ、同じ動きでも胸を張って自分の技として磨いていけます。それでも動きが似てしまうことがあって、アシスタントの人たちに『○○にそっくりですよ』と止めてもらっているんですけどね(笑)」

がんばる気持ちの原動力は、応援してく
れる人の顔

ダンスを始めたばかりの頃は「無敵タイム」だったと言います。
「よく小馬鹿にされましたけど、楽しかったです。『そんなのは、ダンスじゃない。本当にすごいのは、今、流行っているこういうのだよ』なんて言われても、『そうなんだ、僕はこっちの方がいいと思うけどな』とずっと思っていました。
他者の評価よりも、自分が思い描いた動きを実現することに必死な日々でした。難しそうだと思っていた技に一度成功すると、あまりの嬉しさにその技ばかりを繰り返し、いつしか、その技だけは誰よりも上手くできる自信も芽生えました。それでも、努力を続けたり、先のことを考えることが怖くなったりした時期もありました。
最初は、コンテストで勝つと純粋に嬉しかったです。でも、勝ち続けて4回目くらいから、いつ負けるのかという強迫観念が大きくなって、素直に喜ぶことができなくなりました。元々、運動も得意ではなく、走っても泳いでも負けることが多く、勝ち慣れていません。でも、負けて泣き崩れたダンサーが『がんばれよ』と言って握手をしてくれるんです。その強い握手で『喜ばないなんて、みんなに失礼だ』と思うようになりました。負けた人が『アイツはすごかったな、アイツと良い勝負をしたぞ』と話のネタにできるくらいにならなければダメだと」
TAKAHIROさんのダンスは、新たなパフォーマンスを作り出したい自分の欲求と、ダンスが誰かに与える力に対する期待で作り上げられています。
「昔からですけど、僕は自分のためだけに全力を出し続けられるほど強くありません。この技ができたら、両親や友だちが驚いたり、喜んだりしてくれるんじゃないか……と、喜ぶ顔が見えるからがんばってこられました。ダンスをバカにされたときもそうです。バカにされて『そうか』と認めてしまったら、僕を応援してくれている両親が間違っていることになる。だから『そんなことない、これがいい、これで認めてもらうんだ』と強い信念を持つことを心掛けました。両親と応援してくれる人の期待は、僕の2つのエンジン。あと、もう一つ。今は一緒に目標に走ってくれるチームが3つ目のエンジン。マネージャーが期限を切ってくれるんですよ、助かっています(笑)」

REACH BEYOND ITEM

カメラ

最適化から少し外れるための大切なツール

TAKAHIROさんが現在愛用しているレンズ一体型のデジタルカメラ「ライカMQ」は、仕事で行く様々な場所の風景や出来事を伝える大切なツールです。アメリカで活動することになった2004年、日本のダンス雑誌に現地レポートを寄せるために撮り始めたのがきっかけで、カメラや写真が好きになったそう。愛機について聞くと「レンズに凝るほどじゃないし、ストロボを工夫するほどでもない。でも、スマートフォンで撮るより、ちょっと良い画質。最適化から少し外れることが、僕のテーマだから」。