【箱根駅伝体験談】ミズノスポーツサービス内野雅貴編

千葉県立佐原高校から神奈川大学卒業後、社会人ランナーとして5年半実業団で活動しました。フルマラソンで2時間16分台まで記録を伸ばしましたが、ケガの影響でトップアスリートの道を断念せざるをえませんでした。その後、走ることに未練があり、走ることを仕事にしたいとランニングクラブでの指導などを経験し、2013年にミズノスポーツサービスに入社しました。
1982年生まれの43歳。スラッとした体形は長距離ランナーらしく、今はミズノスポーツサービスで運営する全国のスポーツ施設でのイベント運営に関連する仕事を中心に担当しています。ランニングの仕事からは少し離れているそうですが、この時期になるとやはり母校のことを含めて箱根駅伝は気になってくるそうです。

2003年第79回大会2年生7区(区間7位)、第80回大会3年生5区(同14位)、第81回大会で4年生10区(同5位)と3回とも違う区間を走りました。特に3年生の時は急きょ山上りの5区をやることになったそうで、「さすがに言われた時は動揺しました」と。結果も厳しいものとなりました。また、4年生ではキャプテンとアンカーという重責を背負って走りました。翌年大会のシード権がかかる10位でたすきを受け、なんとか後続を振り切ってシード権を確保、キャプテンとして大きくチームに貢献しました。ただこの最後の箱根駅伝にキャプテンで臨む時のプレッシャーは相当だったそうです。「1週間前に体調を崩してしまい点滴を打ち、寝込んでしまいました。4日前にメンバー選考のための5000m走があったのですが、体調が悪いなりに走れて、(体調を崩したことは)必死に隠したつもりでしたが、監督やコーチにはわかっていたと思います。今も動画で見るとまだ体調は万全でないのがわかります」と当時のことを振り返ってくれました。
学生ならではの考え方で、“走れるチャンスが目の前にあってそこに挑みたい”という気持ちがこのような行動になり、そして本番では力を発揮できたようです。

第81回大会10区残り1㎞を力走する内野

陸上競技は中学1年秋から始めたそうで、担任の先生に薦められて陸上競技部へ入部し、中学3年の時に見た神奈川大学の優勝を生で見た時、“あそこで走りたい”と強い思いを抱きました。高校は千葉県の県立佐原高校に進み、最後の夏のインターハイ南関東大会予選で負けてしまったのですが、その後の記録会で、当時大学から声がかかる基準タイムである5000m14分台で走れたことで、神奈川大学の監督の目にとまり大学への道が開けました。「インターハイ本選には進めなかったのですが、追い込まれると力を発揮できる」という手ごたえがあったそうです。内野の中には“自分は本番には強い選手だと思って挑む”というのはこのころから芽生えていたようです。

ランニングクリニックで指導する内野

内野がミズノグループに入社したころはちょうどランニング市場に物売りだけでないビジネスが拡大していた時期でした。内野は自分のやってきたことが生かせる仕事として、新製品のランニングシューズ発表イベントでの実技指導や、直営店舗でのフォーム診断などに取り組んでいきました。今はランニングだけでなく、スポーツ施設向けの「ながら運動」、「かけっこ教室」などのイベントに講師を派遣する仕事を主に担当しています。「調整業務が多い中で、見積もりを作成したり、細かいやりとりが多いこともあります。でも箱根駅伝を目指していく中でコツコツやる、ペースを考えて粘り強く取り組んできたことは、今の自分の長所になっていると思います」と言ってくれました。内野はミズノスポーツサービスの一員として、人々の健康やQOL(クオリティーオブライフ)に貢献していくことを目指して日頃の業務に励んでいます。
内野の母校である神奈川大学も出場する箱根駅伝、ミズノは全てのランナーを応援していきます。

第102回大会でも母校への思いは変わらない

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