【箱根駅伝体験談】ミズノ社員3人が語る!汗と涙のリアルストーリー

まず1人目は木村哲久(58歳)。
1987年第63回大会の6区を早稲田大学2年生の時に走りました。現在は東京本社で営業を担当しています。
2人目は小池誠(56歳)。
1988年第64回大会の10区を専修大学1年生の時に走りました。現在は東京本社で営業を担当しています。
3人目はぐっと若返って高見諒(36歳)。
2009年第85回大会、2010年第86回大会と2年続けて東洋大学10区で2年生、3年生と2回とも総合優勝のフィニッシュテープを切るという貴重な経験の持ち主です。現在は大阪本社でスポーツアパレルの企画を担当しています。
それでは3人に学生時代の思い出を語ってもらいましょう。

左から木村哲久、高見諒、小池誠

ここからは、3人の元箱根ランナーに学生時代のことを振り返ってもらいましょう。3人とも「練習はつらかった」という点では一致。特に合宿での思い出が強く残っているようです。

(木村)僕は中距離出身だったので、距離を踏むという練習がつらかった。毎日疲労困憊でした。
(小池)合宿はとにかくつらかった思い出しかないです。夜も一緒なので仲間意識は高まって、結束は生まれますね。
(高見)先輩方と同じで練習はつらかったですが、同級生仲良かったので、楽しかった思い出もあります。

第63回大会 6区 木村哲久

夏を中心にした合宿以外でも、長距離選手の多くは寮生活のため、多くの時間を仲間と共にします。一緒に生活することで絆が自然と育まれる環境といえそうです。次にレースの時に何を考えているのか聞いてみました。

(小池)とにかく終わったら何して遊ぼうとか、考えていました。調子が良い時はとどこで仕掛けようか、考える余裕が出てきますね。
(木村)設定タイムと実際に走っているタイム比較で頭がいっぱいでした。その時の体調と地点地点のタイムが予定通りなのか、遅れているのかを考えていたかな。
(小池)レースに集中していたんですね、素晴らしいです!
(木村)そうじゃなくて、三流選手はそんなもん。
(高見)2年の時は後続と差が無くて、3年の時は差があって余裕があったので、それこそ次の日にテレビに出られるなぁ~とか考えてしまいました。常に考えているというよりは、無の時間の方が長いと思います。

第64回大会 10区 小池誠(写真提供:月刊陸上競技)

調子の良しあしで考えることも当然変わってくると思いますが、そんな3人に沿道からの声援などで印象に残っていることを聞きました。親の声援は分かるとよくいわれますが、本当にそうなんでしょうか?

(木村)6区は山下りで沿道の人も少ないのですが、その中でも(当時のコースだった)函嶺洞門のまず人が居ないようなところに親戚がWの旗を持っていてくれた。それと小田原の中継所の約2㎞手前で親父が応援してくれていたのを覚えています。
(小池)監督が乗っているジープのプレッシャーが凄かった。「行け―」と常に言われている感じでした。
(高見)ルールが変わったのか、私の時は要所要所のみの監督からの声がけでした。印象に残っているのが、2年の優勝した時なんですが、10区のスタート前に『優勝おめでとう!』と言われたんです。走り始める前だったので、緊張感もあって、他の大学が揺さぶりをかけてきたのでは?と思いました。でも親の声は分かりましたね。声で気づいたというより、下の名前で「諒(りょう)」と呼ばれたことで気づいたんですが。

第85回 10区 高見諒(写真提供:月刊陸上競技)

(木村)入社して5年経ち選手をサポートする陸上販促に異動したその年に、ミズノが箱根駅伝のスポンサーになったので縁を感じます。ただ、若かった頃は、結果が悪かったので思い出したくない思い出ということもあり、自分から出場したことを言うことは無かったんですが、今は堂々と言うようになりました。
(小池)仕事で私から言うことは無いですが、(商談の席などで)上司が私をネタに話のつかみに入っていくことがありました。使ってもらうことはありがたいことだと思います。
(木村)そうそう、あるね。
(小池)自分のためにはあそこまで頑張れないですが、誰かのためなら頑張れる性格なので、そういった部分は仕事に生かせていると思います。
(木村)ホント?
(小池)ホントです、自分のためでなく木村さんのためなら・・・。
(木村)入社した時から小池のこと知っているけど、そんなこと初めて聞いたなぁ。そんな風に見えなかったけど、感心するよ。
(高見)お二人の話に共感できる部分もいっぱいあります。上司がネタにすることも多いです。ミズノに入ってからは陸上に関わる仕事に携わっているので、経験が直接生きているところはあります。箱根駅伝も担当していたので、頼られる部分も多いです。寮生活の4年間で上下関係の厳しさとか身に付いたと思います。3つ上の先輩と一緒だった二人部屋もありました。その経験は様々なところで生きていると思います。

約一時間の座談会、その一部のご紹介となりましたがいかがだったでしょうか。
3人の出身校も出場する第101回大会が今から楽しみですね。東洋大学で2度の優勝を経験した高見は今も週1~2回のランニングを続け、たまに登山もしているそうです。仕事では「第101回大会オフィシャルグッズ」の企画も担当しました。その「オフィシャルグッズ」も12月20日から発売になります。こちらもぜひ楽しみにしてください。

高見がデザインの監修に関わった2025年箱根駅伝オフィシャルグッズ(一部)

箱根駅伝オフィシャルグッズ