2026.03.31

「ミズノの歴史に触れてみよう!」

ミズノ創業者の水野利八は1884年(明治17年)に岐阜県大垣市に誕生しました。
幼少期を大垣で暮らし、1896年(明治29年)に大阪・道修町の薬種問屋に丁稚奉公に出ます。当時では丁稚奉公というのはよくある話ですが、現在の小学生や中学生をみていると、とても考えられないことですね。
日本で長く続く企業の創業者は、利八のように丁稚奉公に出た方が多いのではないでしょうか。

利八は4年間薬種問屋で奉公した後、京都の織物問屋に移ります。奉公で商いのいろはを学び、やがて1906年(明治39年)4月1日に弟の利三と二人で大阪北区に創業し、洋品雑貨のほか野球ボールを販売します。ミズノの歴史の始まりです。

  • 看板の日本語は今とは逆の右から左への横書きですね。

ここでクエスチョン。①創業当時の店名はどれでしょう?
  • 1.美津濃運動具店
  • 2.水野兄弟商会
  • 3.美津濃運動具商店
  • 4.水野兄弟商店

4月1日のミズノ 創立記念日には、大阪本社で行われる創立努力記念日の式典が全営業所に中継されます。社員一同社歌も歌います。
『♪♪ 朝日は~ の~ぼ~る~(昇る) アジアの~東~ ♪♪』
歌い初めはこのような歌詞です。

  • 1910年(明治43年)に店舗を梅田新道に移転し、「美津濃商店」と改名します。

利八はアイデアマンで、面白い広告活動もしました。当時来日したシカゴ大学の野球チームと早稲田大学などのチームの試合に、弟の利三と二人で赤シャツを着て大声を張り上げ応援したそうです。
すると「あれが梅新で運動服装売ってる美津濃のおっさん」と学生達の間で話題となり、赤シャツの応援が流行。赤シャツが飛ぶように売れたそうです。

また利八は新発売する襟付き開襟シャツの商品名を考えていたおり、野球観戦をしている人々が「勝った!勝った!」と喜んでいる姿を見て、“勝ったは縁起がいい”と1918年(大正7年)に襟付き開襟シャツに"カッターシャツ"とネーミングをし販売しました。
他にも利八がネーミングをつけた商品があります。今では当たり前になっているものもありますよ。

ここでまたクエスチョン。②下記の中で利八がつけたネーミングはどれでしょう?
  • 1.セカンドバッグ
  • 2.ショルダーバッグ
  • 3.サブバッグ
  • 4.ボストンバッグ

1923年(大正12年)、美津濃商店は「美津濃運動用品株式会社」に改名します。1926年(大正15年)から大阪・淀屋橋に新社屋の建設にとりかかり、翌年の1927年(昭和2年)7月に社屋は完成しました。鉄筋地下1階、地上8階という当時の建築法限界の高さで、大阪で7番目にできた最高層ビルに多くの見物人や新聞の記事になったそうです。

  • 「美津濃運動用品株式会社」の店舗写真
    大阪・淀屋橋の1927年の風景です。
    洋服や着物の人々、橋の上には「車」「人力車」「牛車」も写っています。文明の変遷がこの1枚に凝縮されています。

下記は当時の広告の複製です。

クイズの答え
①:2.水野兄弟商会  ②:4.ボストンバッグ

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