
私が私であるために
「いいな」と思った自分の直感を信じてやってきたことが、今の私をつくっていると思うので、もしそれが世の中の流れとは少し違ったものであろうと、自分を信じて歩み続けることは私にとってすごく重要な、私が私である理由だと思っています。
「好きなこと=私らしさ」ではない
自分らしさ” って難しいですよね。その人が好きなことや、夢中になっていることが“その人らしさ” になってしまうことがありますから。例えば私だったら、古着が好きで、自転車や中華も好き。そういった私の“好き”が“在原みゆ紀らしさ” になってしまうような時代に生きているのも事
実です。
でも、本当はその人のなかにある“らしさ” があって……直感で選んだ食べ物や服、言葉、出会う人といったすべてを含めたものが“自分らしさ”だと思うので、「外から見えるものだけが、その人らしさを表してるわけじゃない」ということを、私自身も自覚しておかないといけないと思っています。

「自分に合うもの」を選んでいく
今の私が直感で選ぶものって、“好きなもの”じゃなくて“自分に合うもの”なんです。着たい服よりも自分に似合う服を、食べたいものよりも自分の身体が必要としているものを選んでいるなあって。
自分の「好き」という言葉を、ちょっと疑っているところがあるのかもしれません(笑)。「好き」は言霊が強くて、本当は好きじゃなくても「好き」と言ったら好きになっちゃうことがある。でもそれって、本来の私ではないわけで。好きだけではなく、自分に合うものを選択する。そうやって選んでいったものが、この先の“私らしさ” につながるんじゃないかな。
自然体で笑う自分が、一番私らしい
外から見える自分を意識しすぎると、自分らしさから遠ざかってしまいますよね。人前に出るお仕事をしているなかで「これってたぶん、私らしいと思われるんだろうな」と感じたものをつい選びたくなりますが、それは“ほかの人から見た私らしさ” になってしまう。あくまでも自分を主体として考え、選んでいくようにしています。
そうやって考えると、私が一番私らしいと思うのは……自然体で笑っていられるときかなあ。モデルとしてキリっとした表情を撮ってもらうのも素敵だなと思いますが、飾らないで笑っている等身大の私を撮ってもらえたときは「あ、自分らしさが出ているな」と思います。

肌に触れるものから心地よく
人と接することが好きなので、ひとりで過ごすよりも、誰かといるときのほうが心地よさを感じます。コロナ禍で人と会える機会が減っている今は、辛く感じることもあって……だからこそ、お家に心地よさを求めるようになりました。
なかでも、肌に触れるものは本当に大事だと思っています。靴下やアンダーウェア、インナーやパジャマといったすべてにおいて、自分が心地よいと思えるものを選んでいます。質感はもちろん、どこでどうやって作られたものを、誰から買うのか。納得がいって買ったものを身の回りに増やしていくことで、どんどん心地よくなっていく気がします。
