SPECIAL INTERVIEW 誰もが予想も想像もしていなかった勝ち方を見せたい 井上尚弥選手

日本のみならず、世界中を魅了するボクシング界の至宝・井上尚弥選手。
ファンはもちろん、ボクシングに打ち込んでいる競技者やこれからボクシングを始めてみたいと思っている人に向けて、自身のボクシングへの向き合い方、そしてこれからのことなどを語ってもらった。

(このインタビューは2022年10月に行いました)

井上尚弥選手スペシャルインタビュー

「井上選手の試合なら観られる」
という人を増やしたい

「井上選手の試合なら観られる」という人を増やしたい

カメラの前に立つ井上尚弥選手は、29歳の爽やかな青年だった。
リング上で見せる野性や獣性は、身体の奥で眠っている。

「スイッチを切り替える瞬間は、自分のなかでは決めていません。ジムに行くなりすれば、自然とスイッチが入ります。ルーティーンなども決めていなくて、大事にしているのは“直感力”です」

スイッチの切り替えを自然にこなせるのは、ボクシングとともに過ごしてきた時間の長さに理由があるのかもしれない。
ボクサーだった父の影響で、幼少期からこのスポーツを身近に感じてきた。リングに立てば、ボクサーとしての自分が立ち上がる。

「ボクシングをやる流れが、自然に整っている環境にいました。周りには、野球やサッカーをやる友だちがたくさんいて、野球チームから誘われて体験練習に参加したこともありました。でもやっぱり、ボクシングが楽しかった。強くなりたくて始めて、強くなっていくことを少しずつ実感して、ボクシング独特の世界に惹きこまれていきました」

アマチュア時代から数多くのタイトルを手にし、プロ6戦目でWBC世界ライトフライ級王座を獲得。その後、8戦目で2階級制覇、16戦目で3階級制覇を達成し、2022年6月には、日本人で初めてバンタム級で世界3団体統一王者となった。

「ボクシングはオリンピック競技ですし、スポーツの要素が強いと思っています。攻防の技術があり、そこに美しさがある。SNSでよく目にするのは、『ボクシングとか格闘技は痛々しくて見られないけれど、井上選手の試合なら見ていられる』と。僕自身、そのような試合を目指しています」

まさにそうなのだ。井上尚弥というボクサーの出現によって、ボクシングのファン層は一気に広がった。

「子どもたちや女性も観てくれるようになってきたのは、モチベーションになっていますし、自分が在籍している大橋ジムでも、フィットネスでボクシングをやってみたいという女性から大会出場を目標にしたいというキッズプレイヤーまで競技者が増えています。それは、すごく嬉しいことですね」

ボクシングの魅力を分かりやすく表現しながらも、評論家や専門家、熱心なファンをも唸らせる。「さすが井上だ」とか「やっぱり井上だ」といった期待に応えるだけでなく、期待を上回るファイトを見せてきた。それがまた、さらなる期待を呼ぶ。恐るべき無限のループに、井上選手は身を置いているのかもしれない。

「自分は期待とかプレッシャーを、力に変えることができる性格だと思っています。2022年6月のドネア戦でいえば、『必ずKOしてドラマにさせません』と言って、自分でファンのみなさんの期待値を上げた。それが自分のモチベーションになるし、期待どおりではなく『期待以上だったね、想像を超えた戦いをしたね』と言われたいと思っています。プロとしてやっている以上は、期待どおりではダメだと感じているし、みんなが予想も想像もしていなかった勝ち方が大事なのかな、と思っています」

まだまだ成長できる。
いまがピークではない

まだまだ成長できる。いまがピークではない

スポーツとしての美しさを極めつつ、エンターテインメント性を限界まで高める。
プロフェッショナルとしての究極の姿を、井上選手は追い求めている。

「自分はリング外でパフォーマンスをするタイプではありません。リングの上だけで魅せる、というスタンスでやってきました。それがバンタム級に階級を上げて、何かこう、ファンの方も、そうじゃない方も、ようやくついてきてくれたのかな、と感じます。リング外でパフォーマンスをして注目を集めるのは簡単です。だけど、僕はオリンピック競技でもあるこのボクシングをスポーツとしてとらえているので、やっぱリング上のパフォーマンスを大切に、そこにこだわりを持ってやっています」

井上選手が胸に秘める「こだわり」は、「揺るぎない覚悟」に置き換えられる。
ただひたすら己を磨き上げ、自らの拳のみで周囲を納得させるのだ。

「日々のトレーニングを欠かさず、しっかりと積み上げてやることが、試合当日のパフォーマンスにつながってくる。ひとつの負けが大きいですからね、ボクシングは。リングで結果を出せなければ評価されない世界です」

プロ転向後23戦無敗を誇っている。負けることを知らない男も、不安と向き合うことがあるのだろうか。
井上は静かに頷いた。

「つねに不安と向き合っていますよ。その不安があるからこそ、120パーセントに仕上げる作業ができる。まだまだ自分に満足していないし、満足した時点で終わってしまう。だから、つねに不安を持ちながら、その不安を消すために努力をしているんです。トレーニング内容は毎日同じでも、昨日と今日では身体の調子が違う。その微妙なズレと向き合いながら、トレーニングで修正をして、試合当日にピタッと合わせていく。すごく難しいですけどね」

さらりと言ってのける「難しさ」は、ミリ単位(!)の作業である。経験と知識を総動員した繊細な調整は、わずかな隙も見せないボクシングのスタイルに共通するものがある。

「トレーニングをハードに行ってパフォーマンスを上げていきながら、一方で体重を落としていく。自分のパフォーマンスと体調をいかに一致させるのかが重要になります。本当にミリ単位の世界で調整をしています」

と言いつつも、表情に険しさはない。むしろ、充実感がにじんでいる。
井上は生まれながらのボクサーであり、生まれながらの勝者なのかもしれない。

「今後は12月に控えている試合(WBA・WBC・IBF・WBO 世界バンタム級王座統一戦)で、4団体統一を必ず成し遂げたい。その先はスーパーバンタム級にあげて、2階級での4団体統一をやりたい。これはずっと思っていたことです。アメリカのクロフォード選手がそれを先に達成してしまうかもしれないのですが、2階級での4団体統一は目指したいですね」

現時点での自己評価を聞いてみる。
「それは……分からないですね」と、率直な思いを明かした。

「現役を引退するときに、すべてが分かるのかな。まだまだ成長できるところも見えるし、いまがピークだとは思っていません。ちょっとそれは分からないですね」

日本ボクシング界の未来図についてはどうだろう。
スポーツとしての側面から、井上は普及の重要性を説いた。

「キッズ層にもっともっと親しんでもらうのは大事だと思います。ボクシングをやっている子どもたちが増えているので、自分が現役でやっていくなかで、裾野を広げるためになにかできればと思っています」

試合に臨む気持ちは「色」に表れる

試合に臨む気持ちは「色」に表れる

ボクシングを始めた当時から、ミズノのシューズを愛用している。

「シューズはずっと履いていますし、ボクシングはもちろんスポーツ用品全般において、ミズノさんのものが僕には一番です」

ギアへのこだわりはあるのだろうか。
井上選手は「色」をあげた。

「シューズ、トランクス、ガウンといったものは、自分の気持ちやテンションを上げるための一つのツールでもあります。自分がどういう気持ちでその試合に挑んでいるのかは、シューズなどのカラーで分かります。これまでの試合を振り返ると、赤を使っているのか、青を使っているのかで、気持ちの入りかたが違っていたことに気づきます。そういった部分は面白いと感じますね」

自身の意見をギアに反映していくプランもある。

「ミズノさんとは、一緒に何かしたいですねと話しています。そこはこれから、ですね」

最後に、これからボクシングをやってみたいと考える人に向けたアドバイスを聞いた。
井上はしばらく考えたあと、丁寧に言葉をつないでいった。

「大切なのは『やってみたい』という気持ちの方向性ですね。プロを目指すのか、ボクシングジムに通ってフィットネスとして楽しむのか。ボクシングに触れてみたいとか、楽しみたい人は、そのままの気持ちでやってもらえればいい。僕の試合を観て、オレもリングに立ちたいという気持ちになったのなら、やっぱり危険なスポーツですし、ケガもつきものだし、命にかかわる場面もあるので、真剣にボクシングに向き合って練習に臨むことが大事だと思います」

日本人が誰も通ったことのない道を、井上選手は超高速で駆け抜けてきた。
比類なき王者のキャリアは、ここからさらに疾走感を増していくのだろう。